原三溪(はらさんけい)ってだれ?美の理想郷を追い求めた男NHK日曜美術館

ども、はじめまして。
そして、こんばんは。
しんまいです。

20:00~20:45の
日曜美術館
「原三溪
美の理想郷を追い求めた男」

原三溪(はら・さんけい)さん


出典:NHK

ってだれ?
って思って調べてみました。

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原三溪さんとは

本名は
原富太郎
(はら・とみたろう)さん

1868(慶応4)年8月23日誕生
1939(昭和14)年8月16日
72歳で死去

やはり、有名な方なので
調べると、ちゃんと
誕生日までわかりました。

三溪(さんけい)というのは、
雅号です。

大正~昭和の実業家。
茶人でもあり、
美術収集家でもありました。
また『屈原』で有名な
横山大観(よこやま・たいかん)

出典:Wikipedia

『髪』が切手になった
小林古径(こばやし・こけい)

出典:Wikipedia

『洞窟の頼朝が有名な
前田青邨(まえだ・せいそん)

などの芸術家の育成・支援もなさってました。

といえば
千利休(せんの・りきゅう)を
思い出されるかもしれませんが
利休」は居士号(こじごう)です。

―閑話休題―

美濃国厚見郡佐波村
(現・岐阜県岐阜市柳津町佐波)にて
1868(慶応4)年8月23日
庄屋の青木久衛の長男として
青木富太郎(あおき・とみたろう)
生まれる。

青木??
そうなんです、
青木さんなのです。

18歳で上京し、
東京専門学校(現・早稲田大学)で
政治学・経済学を学びつつ、
跡見学校(現・跡見学園)で
助教師を務めてるぐらいに
聡明だったそうです。

1892(明治25)年
横浜の豪商
原善三郎(はら・ぜんざぶろう)の孫であり、
跡見学校での教え子であった
原屋寿(はら・やす)と結婚し、
原家の婿養子になり
ここで
原富太郎となります。

1899(明治32)年
養祖父である
原善三郎氏が死去。

原家の家業(生糸業)と
土地を継ぐことになり、
昔ながらの個人経営から
近代的な事業経営に転換!!

当時では破格の退職金を払い
番頭たちを退職。

1900(明治33)年
原合名会社に改組。

1902(明治35)年から
世界遺産にもなった
富岡製糸場
経営にも携わりました。

また、この頃から
神奈川県横浜市
本牧三之谷
あった別荘を
本宅として造園。

三之谷の地名から
「三溪園(さんけいえん)」
と名付け、
またこの頃から
原三溪(はら・さんけい)
と名乗るように
なったそうです。

1915(大正4)年に
帝国蚕糸の社長に就任。

1919(大正8)年12月20日に
切断された佐竹本三十六歌仙絵巻
「小大君」を購入

出典:Wikipedia

1920年に
横浜興信銀行(現・横浜銀行)の頭取に。

1923(大正12)年の
関東大震災後は
横浜市復興会、
横浜貿易復興会の会長を務め、
私財を投じて、復興に尽くしました。

お子さんに
実業家の
原善一郎(はら・ぜんいちろう)さん
などがおられます。

この原善一郎さん、
なんと
文豪芥川龍之介さん
高校の同級生!!

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三溪園とは

神奈川県横浜市
本牧三之谷
にある原三溪さんの邸宅
(約5万坪)
現在は
国指定名勝になっています。

園内には
17棟の建築物があります。
国の重要文化財
10棟
!!

以下は
代表的な建物

簡単な三溪園の歴史です。

1902(明治35)年
1591(天正19)年建築
豊臣秀吉
母親である大政所のために建てた
天瑞寺寿塔覆堂
(てんずいじ・じゅとう・おおいどう)

(重要文化財)

出典:三溪園
入手!!
しかも、
豊臣秀吉
建てたことが確認できる
数少ない建築物なのです!!

1906(明治39)年5月1日
三溪園
として無料開園
(外苑のみ)。

開園当時、
内苑はまだ
原三溪さん
プライベートゾーンでした。

1907(明治40)年
鎌倉山之内から
江戸時代初期
“東慶寺仏殿”(重要文化財)


出典:三溪園
を移築。

1914(大正3)年
京都府相楽郡加茂にある
燈明寺から
1457(康正3)建築
“三重塔”(重要文化財)

出典:三溪園
を移築。

1917(大正6)年
鎌倉から
1651(慶安4)建築の
“天授院”(重要文化財)

出典:三溪園
を移築。

1918(大正7)年に
1603(慶長8)建築の
徳川家康
京都伏見城内に
建てたといわれてる
“月華殿(重要文化財)

出典:三溪園
を移築。
障壁画は、
桃山時代の画家
海北友松(かいほう・ゆうしょう)
だそうです!!

1922(大正11)年
1623(元和9)建築で
徳川家光
京都の二条城内に建てて、
後に春日局に与えた
という謂れの
“聴秋閣”(重要文化財)

出典:三溪園
を移築。
原三渓さん
による最後の移築

戦後
原家より横浜市に譲られ、
現在は
公益財団法人三溪園保勝会によって
運営・公開されています。

2019年9月12日(木)~
9月16日(月・祝)まで
観月会
が催されます。

三重塔など古建築
ライトアップほか、
日替わりで音楽や
舞踊も楽しめます。
※安全上、観覧区域を限定。
※20:30まで入園可能(閉園21:00)

Tel:045-621-0634
営業時間:9:00~17:00
休園日:12/29~31
出典:三溪園

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原三溪旧蔵品

美術収集家でもあった
原三溪さん
生涯に購入した美術品の数は、
5000点を超えるそうです。

なぜ
「…そうでです
という表現にしているかと言えば
コレクションは
原三溪さん没後
分散してしまったからです。

今では、
国宝になっているものまで
お持ちでした。

その一つである

国宝
『寝覚物語絵巻
(ねざめものがたりえまき)
【第一巻】』や


出典:大和文華館

重要文化財
『紙本著色三十六歌仙切
(小大君)
』は、

奈良県奈良市学園前にある
原三溪さん
から薫陶を受け、
美術史家

矢代幸雄(やしろ・ゆきお)さん
初代館長
を務めた
大和文華館
収蔵されています。

また大和文華館では
『特別企画展
新春を迎えて-梅と桜の美術-』

2020年1月5日(日)~2月16日(日)
の日程で公開されるみたいです。

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