ども、はじめまして。
そして、こんにちは。
しんまいです。
2019年11月27日(水)
にNHK-BSプレミアムで放送された
『黄色い煉瓦
~フランク・ロイド・ライトを騙した男~』が
今回はBSではなく
遂に
いや、やっと
全国放送(NHK1ch)で
2020年3月13日(金)に
放送されました!!
しかもBS版より13分も長くなって
72分拡大版なのですよ!!
おトクです!!
安田顕(やすだ・けん)さん演じる主人公
久田吉之助
(ひさだ・きちのすけ)
って誰??
と思って。
調べてみました。
ちなみに
サブタイトルに出てくる
フランク・ロイド・ライトは
出典:Wikipedia
ワタクシしんまい
存じておりますよ。
ル・コルビュジエ
、
ミース・ファン・デル・ローエ
と並ぶ
「近代建築の三大巨匠」
のお一人です。
だって
ワタクシしんまい
の好きな建築家の
1人ですから!!
目次
久田吉之助さんとは
1918(大正7)年に死去
愛知県常滑市に
実在した
職人(陶工)さんです。
跡取り息子(長男)さんでした。
日本刀で斬りかかり、
借りてきた書籍
(植松三十里さん著
『帝国ホテル建築物語』
上記の説も載せつつ、
併記されてました。
ドラマを制作する
NHKのサイトでは
サラッと
ライトが訪れたとき、
久田吉之助さんの右腕は
既に失われており…。
と書かれてあるに
留まっています。
たしかに、
NHKでは、
父親にせよ
喧嘩にせよ
刺激的すぎる内容かも
しれませんね。。。
まぁ、ともかく
諸説あるようです。
フランク・ロイド・ライトが、
1917(大正6)年春頃に
わざわざ愛知県常滑まで
会いに来られたそうです。
だって、
ライトの腕は
超一流で
こだわり屋さん。
(良いように言えば
完璧主義)
なので、
帝国ホテル旧本館
(通称:ライト館)に
使用するために
日本に持ってきた
スダレ煉瓦
(スクラッチタイル/
スクラッチブリック)は、
“黄色い煉瓦“!!
誰もが想像する
赤い煉瓦は
重厚感があるので
それを嫌って
軽量に見える
“黄色い煉瓦”
を求めていました。
けれど
当時の日本では
珍しい色でした。
だからといって、
アメリカから
輸入となると
膨大な資金が必要に。
けれど、
その
“黄色い煉瓦“を
建築陶器として
焼いていたのが、
日本でただ一人いたのです!!
それが
常滑の陶工
久田吉之助さん
だったからです!!
しかも、
製造方法の特許まで
取得されてます。
但し、
この当時の特許は
曖昧で
全て工程を書いていない
事が多かったそうです。
(秘伝という理由で…)
久田吉之助さんは、
ライトさんたちを
知多半島南部の
粘土鉱山へ案内し、
常滑の地で
“黄色い煉瓦”
を焼くことを
約束しました。
だって以前に
違うアメリカ人設計の
煙草王として有名な
村井吉兵衛
(むらい・きちべえ)さん
の別邸(長楽館)で
久田吉之助さんの
“黄色い煉瓦”
を使用していたからです。
本邸は
東京の赤坂山王台にある
「山王荘」(設計:武田五一)です
長楽館以外にも
採用実績がありました。
けれど
久田吉之助さんは
実際にタイルを
納めることなく
翌1918(大正7)年末に
病没!!
特許使用料を払って、
特許の書類どおりに
焼いて出来ない。。。
存命中も、
帝国ホテル支配人の
林愛作(はやし・あいさく)さん
に粘土が取れる粘土鉱山を
法外な価格で売りつけたりと、
手付金などは受け取ったくせに
のらりくらりと一向に
仕事に取り掛からなかったし。。。
だからなのでしょう
現場で監督する
工場長の立場であった
佐野岳(さの・がく)さんが演じる
牧口銀司郎
(まきぐち・ぎんしろう)さんの本
『帝国ホテルのスダレ煉瓦』
によれば
久田吉之助さんは、
「元来彼は有名なる詐欺師」
と書かれていたり、
またほかの本では
「フランク・ロイド・ライトを
騙した詐欺師」
「不良業者」
と書かれているそうです。
ほかの帝国ホテルに関する本では、
どのように書かれているのか?
図書館で予約したので
また調べてみます。
【追記】
借りて読んでみましたが、
久田吉之助さんのことは
一切書かれてませんでした!!
なので、
“黄色い煉瓦“で
苦労した件もなかったです。。。
じゃ、
帝国ホテルの
“黄色い煉瓦”
はどうしたの?
って思いますよね。
帝国ホテル旧本館
(通称「ライト館」)の
タイルを生産し、
同じ常滑にある
(さわだ・ちゅうきち)さんの
間借りした
帝国ホテル煉瓦製作所
(1917-21年)
でした。
の納品終了と同時に閉鎖となった
INAX(現LIXIL)
となっていきます。
のちに長三郎
(ちょうざぶろう)
を襲名します。
久田吉之助さん
の作成した煉瓦は
どこで見れるの?
岐阜県にある
名和記念昆虫館
(設計:武田五一)、
京都府京都市にある
長楽館
(設計:ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー)、
などです。
当時の有名設計家の建築
に使用され、
『西浦町史』では
常滑のタイル業界の始祖
とまで評価されてるそうです。
久田吉之助さん
への評価の幅が広すぎて
どっちを信じればよいのやら…)
への評価は、
みなさんの目で
確かめて頂ければ幸いです。
名和昆虫博物館に
使用されている
トンボの細工物は
コチラ↓
出典:LIXIL
帝国ホテル旧本館(通称:ライト館)
1916(大正5)年
フランク・ロイド・ライトと契約。
1917(大正6)年
ライト来日。
今回のドラマは、
このあたりになるかと。
1916(大正7)年
久田吉之助死去
1919(大正8)年9月
着工。
1922(大正11)年4月
初代本館焼失
なので、
一刻も早く完成させ、
操業を再開したいのですが
何といっても
ライトは完璧主義者なので。
設計変更は当たり前、
調度品にもこだわるので
予算はいくらあっても
足りません。。。
だから経営陣とも対立し、
1922(大正11)年7月
ライト
完成を見ることなく離日
以降は
日本での弟子である
遠藤新(えんどう・あらた)
が指揮。
ライトの離日よりも前に
支配人の林愛作さんが
失火の責任をとって引責辞任します。
ライトは一番の理解者を失っていたのです。
同時に渋沢栄一さん、大倉喜八郎さんも退陣しています。
1923(大正12)年7月
竣工。
1923(大正12)年9月1日
落成記念披露宴
そのさなか、
関東大震災!!
凌雲閣(浅草十二階)
が大破するなか
ほぼ無傷で健在!!
後日、オーナーより
『ホテルは、
天才の記念碑として
被害なく建っている。』
という電報を
ライトは
受け取ったそうです。
1968(昭和43)年
新本館建設のため解体。
取り壊し反対運動などがあり、
ライト館の玄関部分
や及び内部は
愛知県犬山市にある
博物館明治村に
移築再建されて、
見ることができます。
出典:博物館明治村
栃木県日光市の
東武ワールドスクウェアには
1/25のミニチュアで
ライト館全景を再現しています。
2005(平成17)年4月には
帝国ホテル新本館14階の
「インペリアルフロア」にある
「フランク・ロイド・ライト・スイート」では、
ライト館の独特な意匠や
ライト独自のスタイルで
まとめられた内装や
調度品を忠実に
再現してあるそうです。
名和昆虫博物館とは
ギフチョウの発見で
有名な昆虫学者の
名和靖(なわ・やすし)
の志を理解した県人
の寄付により
建てられました。
設計者は武田五一さん。
1918(大正7)年9月に
起工。
1919(大正8年)4月に
竣工。
1919年10月26日に
財団法人名和昆虫研究所の
付属施設として開館。
開館以来、
昆虫学普及のため、
その役割を果たし、
また
文化庁による
岐阜県第1号の
「登録有形文化財」
などにも認定されています。
出典:名和昆虫博物館
帝国ホテルの設立者である渋沢栄一さんについても気になる方はこちらもどうぞ↓
ワタクシしんまい
の文章を
最後まで
お読みいただき
ありがとうございました。