千々石ミゲル(ちぢわみげる)ってだれ?天正遣欧少年使節のひとり戦国IXA追加武将

ども、はじめまして。
そして、こんばんは。
しんまいです。

戦国IXA(イクサ)で
2021年1月14日に
追加武将カードが発表されたのですが、
その中の1人
千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)っていう、
戦国武将をごぞんじですか?

ワタクシしんまいは、
天正遣欧少年使節
(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)

メンバーだな。
ってぐらいは知っていましたが、
千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)
詳しくは知りませんでした。

だって、ずっと
天正遣欧使節を天正遣欧使節
だと覚えてましたもの
(^-^;

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千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)ってだれ?

出典:Wikipedia
右下の千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)
1569(永禄12)年生まれです。
淀君(よどぎみ)も同年生まれです。

ミゲルは、洗礼名です。
「ミゲル」に由来は大天使ミカエルです。

なので、本名
千々石 紀員(ちぢわ のりかず)です。
これは知りませんでした(笑)

大村 純忠(おおむら すみただ)の甥で、
有馬 晴信(ありま はるのぶ)の従兄弟
でもあります。

幼い頃に父を亡くし、
長崎の有馬(現:長崎県南島原市)に
あったセミナリヨ(神学校)で
神学教育を受けたといわれています。

そして、
天正遣欧使節の一員として、
ヨーロッパを巡り、
帰国後は、
イエズス会の司祭になるために
天草の修練院にて学んだそうです。

1601(慶長6)年に
なんと
キリスト教棄教
イエズス会からは破門され、
千々清左衛門(ちぢわ せいざえもん)
と名を改めます。

原因は
欧州見聞の際に
キリスト教徒による奴隷制度を
目の当たりにして疑問をもったとか……

大村 純忠(おおむら すみただ)の子で
後を継いだ大村 喜前(おおむら よしあき)
仕えます。
大村 喜前(おおむら よしあき)もキリシタン大名です。

大村 喜前(おおむら よしあき)の棄教にも
関係しているそうです。

なのに
大村 喜前(おおむら よしあき)からも
疎まれて、
島原の日野江藩に行きます。

日野江藩では
キリスト教が絡んだ事件が起こり、
藩主は流罪、
日野江藩は没収。

そして、
千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)
遺臣から瀕死の重傷を負わされ、
それ以降は不明ですが、
1633(寛永9)年1月23日に
亡くなったそうです。

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実は天正遣欧少年使節って

出典:Wikipedia
天正遣欧少年使節の
天正」は年号です。

わざわざ
「年号」や「少年」と入れるのは、
入れないとほかにもあったから

伊達 政宗(だて まさむね)
慶長18(1613)年に派遣した

慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)とかね。

少年」とあるのは、
使節が少年たちだったから。

イメージとしては、
上記にもあるように
4人の少年
主席正使の伊東マンショ
正使の千々石ミゲル
副使の原マルティノと
中浦ジュリアン

イエズス会の神父?(修道士?)の
5人のイメージがありますが、
ホントは、随員もいて
もっと大勢で行ってるのです!!

Wikipediaで調べただけでも、
随員の日本人はあと3人いて、
ローマに行ってます。

日本名はわからないけど、
教育係として
ジョルジェ・ロヨラ修道士
印刷技術習得要員として
アグスチーノ
コンスタンチノ・ドラード

それに
発案者
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父
ヴァリニャーノ神父は発案者だけど、
一緒にローマには行っていないのです。
インドのゴアに着いたときに、

インド管区長を命じられたので。

ヌーノ・ロドリゲス神父
ディオゴ・メスキータ神父
ロレンソ・メシア神父
オリヴィエーロ修道士
いてました。

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天正遣欧使節の主な行程[往路]

1582(天正10)年2月20日
長崎出港

20日間ほどで
1582(天正10)年3月9日
マカオ到着




1年9か月後
1583(天正11)年12月20日
インドのゴア到着
風待ちだったとはいえ、かかり過ぎでしょ!!
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父離脱

9か月ほどで
1584(天正12)年8月10日
ポルトガルの首都
リスボン到着
↓陸路で

1584(天正12)年11月25日
スペインの首都
マドリード到着
スペインポルトガル国王である
フェリペ2世
歓待を受ける
フェリペ2世は世界史に必ず出てくる人です。
フェリペ2世は首都をマドリードに決めた国王で、
当時のスペインは「太陽の沈まぬ帝国」と称され、
無敵艦隊で有名ですね。
のちにアルマダの海戦で大敗北し、
衰退していきます…

1585(天正13)年3月1日
イタリア
トスカーナ大公国に到着

1585(天正13)年3月2日
ピサに到着

1585(天正13)年3月7日
フィレンツェに到着

1585(天正13)年3月23日
ローマにて
グレゴリウス13世に謁見
しかし、
中浦ジュリアン(なかうら じゅりあん)だけは、
公式謁見には参加できてないのですよね。


このグレゴリウス13世は、
18日後に亡くなりました。

このグレゴリウス13世
あまり馴染みがないですが、
実は私たちが日ごろ使っている暦
グレゴリウス暦。
そう!!
この方がこれまで使用していた
ユリウス暦を改良して、
4年に一度うるう年がくるように
した教皇なのです。

1585(天正13)年5月1日
次の教皇を選ぶ
コンクラーベ(教皇選挙)を経て
選ばれたシクストゥス5世
戴冠式に参列。

初めてコンクラーベ(教皇選挙)
間近で体験した日本人たち
とも言えます。

1585(天正13)年6月3日
ローマを出発
ヴェネツィアなど各地巡礼

1586(天正14)年4月13日
リスボン出港
この段階で、
出港からほぼ4年が過ぎてます。

天正遣欧使節の主な行程[復路]

1586(天正14)年4月13日
リスボン出港

13か月後
1587(天正15)年5月29日
インドのゴア到着
往路では9か月。
復路
は13か月と2か月も遅い。
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父再会

3年2か月後の
ほぼユニコーンの『大迷惑』の歌詞と同じじゃん。
♪3年2か月の過酷なひとり旅~♪
1590(天正18)7月21日
やっと長崎帰港。
約8年ぶりの帰国
です。

ゴアから長崎までの
帰国にこんなにも年月が
かかったのには
理由があります

ゴアに到着した4月に
伯父である
大村 純忠(おおむら すみただ)が死去。

翌6月には
大友 宗麟(おおとも そうりん)が死去。

7月には
豊臣 秀吉による
バテレン追放令発布。

以上の理由で
帰国できなかったのです。

なので、
キリスト教徒ではなく
インド副王の使節として
帰国したのです。

1591(天正19)年3月3日
聚楽第にて
豊臣 秀吉の前で、
西洋音楽を演奏

戦国IXAにおける千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)の初期ステータス

カードNo.5203
レア度: 序
コスト: 2
HP: 100
指揮兵数: 1780
兵法: 390 (LvUp加算量: 2)
攻撃力: 490 (LvUp加算量: 18)
防御力: 450 (LvUp加算量: 17)
槍兵統率: C
弓兵統率: B
騎馬統率: C
兵器統率: E
スキル名: 弓隊進撃
作家名: 末冨正直

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まとめ

千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)は、
天正遣欧少年使節のメンバーで
唯一棄教した人でしたね。

ちなみに
天正遣欧使節を題材にしたドラマ
『MAGI-天正遣欧少年使節-』が
Amazonビデオにあります。

千々石 ミゲル(ちぢわ みげる)役を
緒形 敦
(おがた あつし)さん。

伊東マンショ役は
野村周平さん。
原マルティノ役は
井之脇海さん。
中浦ジュリアン役は
森永悠希さん。

ワタクシしんまい
の文章を
最後まで
お読みいただき
ありがとうございました。

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