林忠崇(はやしただたか)最後の大名とは【歴史秘話ヒストリア】

ども、はじめまして。
そして、こんばんは。
新米主夫です。

みなさん

2019年7月24日
22:30から
(再放送は
2019年8月27日15:08から)
NHK総合テレビで放送された
『歴史秘話ヒストリア
最後の大名 時代を駆ける」』
で放送された最後の大名」って
呼ばれていた方を
ご存じですか?

今回は、「最後の大名」と呼ばれていた

林忠崇(はやし・ただたか)さんについて
調べてみました。

林忠崇(はやし・ただたか)とは?

嘉永元(1848)年に請西藩の第初代藩主
林忠旭(はやし・ただあきら)の五男として誕生。

嘉永7(1854)年に忠旭隠居するが
林忠崇さん(7歳)は幼少でだったので、
叔父である林忠交(はやし・ただかた)
家督を相続。

慶應3(1867)に叔父の林忠交死去
忠交の子である林忠弘(はやし・ただひろ)
幼少だったので林忠崇さん(20歳)が
家督を相続。
請西藩の第3代藩主(お殿さま)に。

翌年慶應4(1868)年1月に勃発した戊辰戦争。
これによって藩内恭順派抗戦派と二分。
しかも拮抗!!
(どちらかが優勢なら決めやすいのですが、
拮抗って、一番ツラいですよね)

4月に幕府(徳川)の遊撃隊
援助を求めて来藩。
林家は、徳川家に恩義があるので
抗戦したいが、
そうなると領民を
巻き込んでしまうことに…。

だって、この林家というのは、
徳川家が徳川と名乗る前の
松平
よりも古い
世良田(せらたorせらだ)さん
だった頃からの
家臣なんですもの!!
(世良田→松平→徳川となっていきます)

困窮してた世良田さんに、
兎を吸い物にして
献上したことがあり、
それがきっかけで
「徳川家は
運気が巡って、今がある!!」
と思われていて、
徳川家康さん
献兎賜盃(けんとしはい)
という正月行事にしちゃうぐらい。

その兎の吸い物の
一番に賜ることから
一文字大名
と呼ばれていました。

ここでウルトラC!!
版籍を朝廷に奉還して、
徳川家の一家臣として
藩士70名とともに

お殿さま自ら脱藩!!

だが、箱根などで新政府軍と戦い、
一度は勝ちますが撤退。
新政府への抵抗が強い東北へ転戦。
しかぁ~しっ!!
奥羽越列藩同盟の二大勢力
米沢藩・仙台藩が相次いで
新政府に恭順
(゚ロ゚ノ)ノ

また徳川宗家
駿府70万石諸侯として存続するを知り、
大義名分が果たされたとして
林忠崇さんは仙台にて新政府軍に降伏

しかし、
新政府は藩主自らの脱藩反逆とみなし、
改易!!
(今でいえば倒産!!なので
 全員解雇無職みたいな)

林忠崇さんは
江戸の唐津藩邸(東京の深川あたり?)にて謹慎
のちに林忠弘の預かりとなる。

明治5(1872)年に
赦免(25歳)。

旧領の請西村にて農民として生活

明治6(1873)年12月
東京府で下級役人として採用!!

けど2年後の明治8(1875)年に
東京府権知事で大久保利通の腹心である楠本正隆と
意見が衝突し辞職

函館商店番頭を務めるが、
数年後破産!!

神奈川県座間のにある寺院の水上山龍源
住み込み

明治13(1880)年より
大阪府西区書記として勤務。

当時、旧諸侯たちは華族になっていましたが、
反逆改易の理由で林家は
華族の礼遇が与えらませんでした。
しかし旧藩士たちによる家名復興の嘆願が認められ、
明治26(1893)年に林忠弘男爵となります。
(序列は
公爵

侯爵

伯爵

子爵

男爵
の順)

それに伴って、
林忠崇(47歳)は無爵の華族となります。

その後は
宮内省東宮職庶務課勤務
明治29(1896)年に辞職

明治32(1899)年からは
日光東照宮にて神職
明治35(1902)年に辞職

大正4(1915)年岡山県いる
次女ミツである妹尾順平の元で同居
昭和10(1935)年に
ミツ離婚に伴い、
ミツ二人暮らし

昭和12(1937)年2月1日に
大藩である広島藩の藩主
浅野長勲(あさの・ながこと)が死去。

昭和16(1941)年1月22日
最後の大名」として
ミツの経営するアパートにて死去(94歳)。

辞世(の句)を求められた際は
明治元年にやつた。今は無い。
と答えたそうです。

スゲーー。

戊辰戦争で降伏する際に
詠んだ辞世の歌は
真心のあるかなきかはほふり出す
腹の血しおの色にこそ知れ

墓所は東京都港区愛宕2丁目にある
曹洞宗の寺院である青松寺です。

因みに
忠崇は文武両道で幕閣のおぼえめでたく、
将来閣老になる器
と評されてたそうです。
遊撃隊でも伊庭八郎と並んで
美男子だったとも。

気になる方はこちらもどうぞ

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林忠交(はやし・ただかた)さんとは?

林忠崇さんからみれば叔父さんです。
である林忠旭(はやし・ただあきら)
さんが林忠交(はやし・ただかた)さん。

林忠旭が隠居したときは、
忠崇さんはまだ幼少でしたので
叔父である林忠交さんが
養嗣子(ようしし)となって、
上総請西藩の第2代藩主になられました。
ちなみにこの方の官位は「肥後守」です。

そして、京都伏見区にある寺田屋
坂本龍馬を捕縛しようとして失敗した
寺田屋事件

寺田屋事件で有名なシーンと言えば、
ドラマなどでは必ずと言っていいほどよく見る

のちに妻になるお龍が風呂から
裸のまま階段を駆け上がって…

坂本龍馬たちに危機を知らせた。

というアレです。
捕縛を主導したの伏見奉行でもあります。
ちなみにこの事件の翌年
奉行在任中に亡くなられます。
享年23歳。

まさに心労なのでは?
と思ってしましますね

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請西(じょうざい)藩って?

今の千葉県木更津市請西に存在した藩です。
当時は上総国(かずさのくに)にあった藩です。
石高1万石
藩庁(今の県庁)は
上総国望陀郡請西村の
真武根陣屋(まふねじんや)でした。

そして戊辰戦争のときに
藩主自ら脱藩したので
唯一改易されたです。

のちに新しい藩主
松平信敏(まつだいら・のぶとし)が来て
桜井藩と改称します。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

脱藩した浪人や脱藩志士とかは
聞いたりしたことがありますが
脱藩大名なんて前代未聞!!
林忠崇さんだけです。

これがきっかけで
ドラマになったりするんじゃないかな?
と思ってしまうような
波瀾万丈な人生を送られた方でしたね。

まずは、
某メーカーの幕末ゲームに出てほしいですね。

ちなみに

林忠崇役を好演されていたのは


出典:NHK

2019年2月まで放送していた
快盗戦隊ルパンレンジャー
VS警察戦隊パトレンジャー
』で
ルパンブルーこと
宵町透真(よいまち・とおま)役や

現在放送中のドラマ
コーヒー&バニラ』で
市柳雪(いちやなぎ・ゆき)


出典:MBS

をなさっている
濱正悟(はま・しょうご)
さんでした!!

最後まで、
この記事を読んでいただきありがとうございました。

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