信長を導いたという斎藤道三の子孫は何と現代まで【歴史秘話ヒストリア】

どうも、みなさま
こんばんは。
しんまいです。

今回は、
~14
NHK Eテレ
【信長を導いた戦国革命児
斎藤道三 非情の哲学』
とタイトルにもなっている
斎藤道三(さいとうどうさん)
について書いていきたいと思います。

ちなみに
大河ドラマ『麒麟がくる』では、
本木雅弘さんが演じています。

しばしお付き合いのほど、
よろしくお願いします
m(__)m

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斎藤道三(さいとうどうさん)とは

出典:Wikipedia
確かなことは、
美濃(いまの岐阜県)の戦国大名だった
ということです。

なぜ、
こんな微妙な書き出しから
始めたかというと。

出自がはっきりしてないからなのです。
功績や亡くなった年などは、
判明してますよ。

1556(弘治2)年4月
長良川の戦い(岐阜、愛知、三重県へと流れていく川)で
嫡男である斎藤義龍と戦い、戦死

歴史って、
自分が子供の頃に習った内容を
新事実で覆ることが多々ありますよね。

たとえば、
下剋上に成功した大名として
有名な北条早雲
彼は、生きてるときは
一度も北条って名乗ったことないのですよね。
当時は、伊勢でした。

北条と名乗るのは、
早雲が無くなってから
息子の北条氏綱(ほうじょううじつな)から。

しかも、あの北条家は、
歴史的学者的には
鎌倉時代の北条氏と区別するために
後北条と呼んでいます。

新事実によって
これまでの定説が
覆ってしまうのは、
この斎藤道三も同じことで
たった一代で
油売りから
美濃の国主になった
と思われてましたが、
親子二代での下剋上だったみたい。

まぁたしかに、
一代で

はじめは
僧侶??

パフォーマンスで有名な
油商人

一念発起して
武士になる。

長井さんの家臣になって
西村正利になる。

長井さんを蹴落として、
長井規秀になる。

土岐頼芸の家臣になって、
斎藤利政になる。

土岐さんたちをを蹴落として、
遂に斎藤利政
美濃守護代(国主)に!!

いやぁ~、
いくら有能でも、
ステップアップのたびに
上司を殺害するような人を
信用します?

それにステップアップまでの
スパンが短すぎるし。

無茶ですわ。
そら、
親子二代が無難でしょう。

斎藤道三の名前でよく出てくるので、
道三のイメージが強いですが、
実際に「道三」って名乗ったのは、
家督を息子の義龍に譲ってから
亡くなるまでのたった2年間ほどだったのですよね。

しかも、
5月10日放送の
『麒麟がくる』第17回は、
「長良川の対決」なんですよね。
その日に、ヒストリアの再放送だなんて、
何とも上手いアシストをしますよね。

なので、
『麒麟がくる』で
斎藤利政(さいとうとしまさ)
呼ばれていても
聴き馴染みがなかったので、
最初の頃は、めっちゃ違和感があり、
だれのこと??
って思ってましたが、
その呼び名が正しかったのですね。

けど、
NHKのホームページなどでは、
ずっとまだ名乗ってない
「道三」って書かれてます。
「利政」は、括弧書き。。。

その後の美濃は?

斎藤道三を斃した
息子の斎藤義龍は、
道三から「美濃国譲り状」を
もらったという妹の夫
織田信長と戦います。

しかし、義龍が勝ちます。
桶狭間の戦いより前です

1561年に突如、
斎藤義龍は亡くなります。

斎藤道三を斃してから
たった5年後です。

織田信長美濃攻略するのは、
さらに6年後の
1567年です。

道三が亡くなってから
11年後のことです。

そして、
このときから
岐阜という名前が世に出ます。

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斎藤道三の子孫は?

斎藤道三
有名な子供たちは

のちに道三を討つ
嫡男斎藤義龍
その息子斎藤龍興は織田信長に敗れて、美濃を去り、
のちに朝倉攻めのときに世を去ります。(直系断絶)

道三が義龍よりも
可愛がっていた
斎藤孫四郎と斎藤喜平次
は、義龍によって殺されます。
まぁ、このあたりが道三VS義龍になる原因かな?
それに、道三は義龍をバカだと思ってましたし。

道三側についていた
斎藤利治は織田信長の下で、
美濃斎藤家を継ぎ
一門衆と扱われていきます。

また、のちに
京都の妙覚寺の
19世住職になった
日饒(にちじょう)がいます。
「饒」って漢字は、豊かって意味です。
豊饒(ほうじょう)や沃饒(ようじょう)とか。
沃饒といえば、メソポタミア文明!!
ティグリス、ユーフラテス川の間にある
肥沃な大地があったから、栄えたと。

この妙覚寺
道三が僧侶になった寺
と言われています。

そして、
織田信長の京都における
定宿となっています。

本能寺で亡くなったので、
織田信長=本能寺←定宿?
といったイメージがありますが、
ほとんど泊まっていたのは、
妙覚寺。

ちなみに
本能寺の変当日
妙覚寺に泊まっていたのは、
当時の織田家当主であった
信長の嫡男織田信忠です。

そうそう、
信長に渡したといわれる
美濃国譲り状」を保管していたのも
妙覚寺

こうやって書くと、義龍だけ省かれていたのですね。

娘は、
帰蝶(濃姫)は、織田信長に嫁ぎます。
その後、歴史上には出てきません。
というより、
女性のほとんどは、記録に残ってません。

注目すべきは、
道三の部下の息子
稲葉貞通に嫁いだ娘(名前は不明)
お父さんは、あの信長にさえ
気に入らないことがあったら
意見をしたというほどの頑固者
頑固一徹の語源にもなる
稲葉一鉄
この人が居なかったら、
頑固一徹も星一徹もいなかったのです。

貞通の子
稲葉典通(のりみち)

典通の子
一通(かずみち)
嫁は明智光秀の孫=ガラシャの娘

一通の子
信通(のぶみち)
嫁は織田信長の曾孫

信通の子
景通(かげみち)

景通の子
知通(ともみち)

知通の子
稲葉恒通(つねみち)

嫁は徳川家康の玄孫
は、
公家の勧修寺顕道に嫁ぎ、
勧修寺経逸を産みます。

勧修寺経逸の

勧修寺婧子(かじゅうじただこ)

勧修寺婧子の子

仁孝天皇(にんこうてんのう)

仁孝天皇の子
孝明天皇

孝明天皇の子
明治天皇

ダダァーーン!!
なんと今の皇室に繋がっていくのです
Σ(・□・;)

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歴史秘話ヒストリアで演じていたのは?

斎藤道三役は
山本拓平さん。

織田信長役は、
maechang(マエチャン)さん

でした。

maechang(マエチャン)さんについて気になる方はこちらもどうぞ

まとめ

遠い昔の話だと思って、
『麒麟がくる』を見ていると、
実はもの凄いところにまで繋がっていて、
ビックリしてしまいました!!

明日から『麒麟がくる』を
見る目が変わってしまいますね。

ワタクシしんまい
の文章を
最後まで
お読みいただき
ありがとうございました。

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